散歩
2021年8月12日(木)
編集 M.S.
きっかけは極度なストレスと疲労が引き起こした病だった。
コロナ禍で在宅ワークを始め、出勤時間往復の約4時間が「おうち時間」となった。これがほとんど「パソコンに向かう時間」に。そして、家にいるならスグ寝られるし、「疲れたら寝ればいい」ぐらいに考えて、寝る間も惜しんで今後のためにカラーグレーディングを学ぼうとトレーニングプログラムに挑んだ。
Premiere Proという編集ソフトを使用していて、そのユーザーミーティングに参加したある日、他社製のソフトウェアでシェアを伸ばしているDaVinci Resolveでの色調整が話題に上がったからだ。自分もやってみようと…。
四六時中、パソコン画面を見ながら編集。その日にやるべき仕事を終えてからパソコン向かって勉強する毎日…。これは自身では大したことでは無いと思っていても、かなりのストレスと疲労が溜まることだったらしい。さらに、眼精疲労を甘く見ていたのだ。睡眠の質が低下し、時間も減少。蓄積された疲労は簡単に取れるモノではなかった。
病院へ行くと自宅で二週間の安静を指示された。仕事を休み、パソコンを見る時間を減らして安静に。その後は、ストレス解消と疲労回復のためにも適度な運動を勧められた。しかし、自宅安静が二週間から四週間へ伸びた。窓の外に見えるホームセンターの駐車場に出入りする車を見て、どこか行きたいなと思っていた。
そして、始めたのが散歩。遠出はしなかった。最初は日に当たる程度の数分だったと思う。これがとても気持ち良かった。出社するとか、ちょっと買い物へとか、どこかへ向かうという目的で歩くのとは異なる歩き。こんなにも気持ちいいものなのかと感動した。ブラタモリをはじめ、散歩番組が人気を博して何年か?十年、二十年が経つだろうに、遅い。気付くの遅過ぎ!
「そういえば、引っ越してきてから、あっちに行ったこと無いな。歩いて行ってみよう。」そんな感じで散歩を始め、自転車に乗って少しずつ散歩エリアを広げて行くと、市の水処理場を発見。行政施設をまじまじと見ることなんて小学校の社会科見学以来なかったことだ。自分が住む市の水道水は、60〜70%が地下水、残りが印旛沼と利根川水系からくみ上げて処理されていることを知った。地下水の利用が多いことが以外で驚きもした。
さらに行くと街からいきなり田園地帯が広がり、堀や土塁に囲まれた城跡が現れた。日本百名城に登録されている名城、佐倉城だ。城址公園として整備され、天守は無い。一部は明治以降、旧陸軍の施設になったため埋め立てられてはいるものの巨大な敷地の天守跡・本丸跡、空堀を見ただけでテンション上がる。ちなみに「城」とは「天守閣」を言うのではなく、防御のために造られた堀や城郭全体を指すのだそうだ。アラフィフの今になって初めて知った。
まだまだ先へ進む。ちょっと電車で移動して、大佐倉城跡にも行ってみた。こちらは続・日本百名城に選ばれている国指定史跡(1998年)。下総の守護職として関東の有力大名筆頭の地位にあった千葉氏が千葉城から移ってきた居城。現在、建物は何も残っていないし、自分のような素人が見れば、小さな山を切り開いただけの台地。草村と雑木林あるいは森。しかし、それが東西約700メートル、南北約800メートルに及ぶ巨大な城そのもの。城山を守る巨大な土塁に圧倒される。ふもとに広がる水田はかつての海。豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏に味方して滅亡するまで、攻め落とされることのない強固な城だったのだ。
城に攻め入ることを考えながら登城し、討ち死妄想体験することは、お城巡りの楽しみ方の一つ。佐倉城でも大佐倉城も攻め入るのは容易ではなかった。もれなく討ち死を妄想体験。テンション上がった!!アラフィフにしてお城巡りが新たな趣味になりそうだ。
朝6時過ぎ。たまたま早く目覚めたある日、サッカー場が二面くらいあってもおかしくない広さの公園でラジオ体操しているのを発見。聞けば近隣住人だけでなく、隣の市からも人が集まって来ているらしい。この市に住み始めて数年経つが初めて知った。
朝体操すると頭がスッキリして、とても清々しい。小学時代の夏休み以来だ。最初は、眠いというかダルかったので、背伸びの運動だけしてベンチで見ていただけだった。今は、何となく名前も知らない人と顔見知り。すっかり近所のおじさんだ。
散歩して、今までは知りもしない、興味もなかったものを見て、新鮮な気持ちになる。花を見てきれいだと思う感情、あまりにも普通すぎることが今の自分にはとても新鮮。その花の名前を知らない無知さにショックを受けたりもするけれど、とても良いストレス解消と運動になっている。運動が疲労回復にもつながるなんて矛盾している!そんなふうに思うけれど、結果的に仕事がしやすく集中できるようになったように感じる。それが「適度」な運動ということなのか…。
以前の自分には「散歩」という言葉には年寄りの響きがあった。それが、今の自分にはとても良いものになった。年を取ったという証なのかも知れない。でも、うれしい発見だ。
続けよう。そして、また仕事を頑張ろう。
それでは。